2週間空いてしまったが、タダで楽しむ銀座の後編。行ってみよー。
【ギャラリー編】
銀座には企業のショールームが数多くある。ソニービルや日産ギャラリーなどが代表的だ。だが、自社の商品ではなく、美術作品などを展示する本格的なギャラリーも存在するところが銀座らしい。
向かったのは8丁目の資生堂ギャラリー。ここは1919年、「陳列場」として、後の資生堂初代社長となる福原信三によって開設された。途中、関東大震災や太平洋戦争などで休止したことはあったが、現在まで連綿と続く90年以上の歴史を持つギャラリーだ。
現在の建物は2001年に建てられた東京銀座資生堂ビルの地下1階にある。上階には資生堂パーラーなどがあり、食事やスイーツも楽しめる(ここはタダではありません)。
現在、「shiseido art egg(シセイドウ・アート・エッグ)」展が開かれている。公募で出展者が決まるこのプログラム、今年は261件の応募があったそうだ。
取材日は、今村遼佑さんの「ひるのまをながめる」が行われていた(2月27日まで)。
がらんとしたギャラリー。一瞬、「今日は休みかな」と思ってしまうが、実はあちこちに仕掛けがある。床の上の円盤が突然浮き上がったり、どこからともなく「コツコツ」と音が聞こえてきたり。
よく見ると円盤は、天井から糸でつるされており、糸はさらに壁にあるオルゴールのドラムにつながっている。これ以上書くとネタばらしになってしまうが、日常の中にある感覚や現象が現実なのかどうか、その境界に見え隠れする風景を表現しているそうだ。
そこまで難しく考えなくても、仕掛けを探すだけでも楽しい。
1月は藤本涼さんの写真を使った作品、3月(4~27日)は川辺ナホさんのビデオ作品が登場する。「期せずして、事実は本当に事実なのか、と現実と虚構の問題を問うような3人の作品が選ばれました」と学芸員の森本美穂さん。年配の人にも、面白かったと評判だそうだ。
もうひとつお薦めは、銀座をはみ出てしまうが、INAXギャラリー(中央区京橋)。こちらも本格的な展示が見られる。
ギャラリー1では、3月3日からは「にっぽんの客船 タイムトリップ展」と題して、戦前、世界一周航路をとった「あるぜんちな丸」(大阪商船=現商船三井)と、東京と伊豆諸島を結んだ「橘丸」(東京湾汽船=現東海汽船)を取り上げる。写真や模型、レストランメニューなどを展示し、当時を追体験してもらおうという企画だ。なお、現在は同じ建物のガレリアセラミカで「田中礼展 -陶彩の宴」が開かれている。
どちらもすごいのは、企業のPRとは全く関係ない点だ。もちろん、イメージアップという意味はあるが、直接利益につながるものではないし。
【建物編】
銀座には高層ビルも1000年を超す寺院もない。だが、常に注目される建物が建てられてきた。そのいくつかを紹介しよう。
まず、数寄屋橋公園のそばにある中央区立泰明小学校。開校は明治11年だが、関東大震災で焼失、昭和4年に鉄筋コンクリートで再建された。「表現主義と呼ばれる建築様式の建物で、カーブを描く壁面やアーチ窓等を使った外観に特徴がある。L字型校舎の南端に位置する玄関部分には、柱や入口庇等に個性的な装飾が集中して施され、建物の顔となっている」と入り口そばの銘板にある。平成11年には東京都の歴史的建造物、平成21年には経済産業省より近代産業遺産に選ばれた。ちなみに、島崎藤村や北村透谷が卒業した学校としても有名だ。
銀座の南東のはずれ、築地に近い8丁目にあるのが、中銀カプセルタワー。4年前の都知事選に立候補・落選した建築家、黒川紀章さんの設計。1972年に完成した。
1960年代、黒川さんらが中心となった「メタボリズム」(太っているということではなく、正しい意味の新陳代謝)という運動があり、都市は人口や生活に合わせて成長するべきだ、と主張した。それを具現化したのが、このタワーだそうだ。ひとつひとつが独立したカプセルになっており、必要に応じて増やしたり、交換したりするという構想だった。
1階にそのカプセルが1つ置いてあり、中をのぞけるようになっている。室内は幅2・3メートル、奥行き3・8メートル、高さ2・1メートル。ここに、据え付けのベッドやテレビ、ユニットバスなどがあるが、洗濯機は置けないそうだ。
黒川さんの理想と思想が結集したような作品だが、半面、窓も開かず、息苦しい感じは否めない。とはいえ、理想のためにここまでやってしまう、やはり天才である。
建て替え問題などいろいろと言われているが、ル・コルビュジエの作品を世界遺産にしようと運動するなら、これも世界遺産でいいのではないか、と言う気もする。
もう一つ、まるで自分の目がおかしくなったかと思うのが、ぐにゃりと全体にゆがんだデビアス銀座ビル。ダイアモンドのブランド、デビアスだ。2008年の完成。中は怖くて?入れないが、3年経っても注目が絶えないビルだ。設計は光井純さん。
ということで、歩いてきましたがそろそろ、お疲れの頃。最後は銭湯で汗を流しましょう。どこにあるかって?。それは自分で探してみてください。(慶田久幸)


【石碑編】銀座には、さまざまな歴史を記した石碑や記念碑が点在している。
晴海通りの向こうには「数寄屋跡碑」の碑もあり「
高速の向こうには「明治大学発祥の地碑」。明治法律学校が、1881年に開校した場所である。石碑は駿河台にある校舎を模したものなのだが、ある卒業生の女性が「あら、あの校舎はこの碑を真似たのね」と言ったという…。

ここでちょっと銀座をはみ出す。高速道路の先、新橋寄りに「銀座柳の碑」がある。「植えてうれしい銀座の柳…」。あれ、歌詞が違う。「昔恋しい…」で始まるのでは、と調べてみると、後者は1929年にヒットした「東京行進曲」(西条八十作詞、中山晋平作曲、佐藤千夜子歌)で、前者は同じ人の作詞作曲で1932年、四家文子が歌ってヒットした「銀座の柳」という歌だそうです。 ちなみにその脇にある柳は「二世」とわざわざ建設省が看板を出しています。
さて、一気に中央通りを北上。銀座松屋の先、ティファニーの前に「銀座発祥の地 銀座役所跡」の石碑がある。
さらに北へ上がり、高速道路の下にあるのが「煉瓦銀座の碑」。碑によると、「明治五年(1872年)、銀座は全焼し、焼失戸数四千戸と称せらえる」。そこで、当時の東京府知事が不燃性建築を企画し、政府が国費でれんが造りの2階建てアーケード式洋風建築を完成させたのだ。
ということで入ったのが、交詢ビルの南側にある銀座幸伸ギャラリー。「中松薫里(かおり)陶器絵付作品展」が開かれていた(2月13日まで)。西洋陶器の上絵付けのアーティストの中松さん、父は発明家の
このあたりへ行くのに、一番分かりやすいのは西武池袋線椎名町駅で降りて、山手通りの南長崎1丁目交差点を右折し、目白通りへ入るコースだろう。
さらにその奥へ入ったところにあったあけぼの湯という銭湯もなく、「区民ひろば富士見台」という集会場になっている。
目白通りを進むと目白通り二又商店会。南長崎交番(通称二又交番。ここも改修されたが、昔の建物だそうだ)で右の通りに入ると
そして、中華料理「松葉」。多くの漫画家がお世話になり、漫画にも取り上げられた店だ。ラーメンは今1杯480円。鶏ガラしょうゆ味のスープ、チャーシューとワカメというシンプルなものだが、懐かしい昭和の味といえそうだ。
その前に「トキワ荘跡入り口」の立て看板がある。
この路地の奧にあったトキワ荘は1952(昭和27)年に完成。53年に
石碑の上にトキワ荘の模型があり、石碑にはトキワ荘の住人らの似顔絵とサインが入った金属板が張られている。
ただ、松葉の少し東にある、東京信用金庫椎名町支店に「トキワ荘の窓」というトキワ荘とその周辺の写真を集めたショーウインドーがある。そこで当時をしのんでみてください。
関西を中心に毎週1回掲載中の「都名所図絵-京都検定1級合格記者版」で、寅(とら)年だった昨年のこの時期、祇園(京都市東山区の)一角に建つ臨済宗寺院、建仁寺の塔頭(たっちゅう)の毘沙門天堂の狛(こま)トラを紹介した。ということで、卯年の今年は、狛ウサギのいる岡崎神社(左京区)を紹介する。
神社は平安京に遷都された延暦13(794)年、都の守り神として建立された由緒を持ち、別名、東天王社(ひがしてんのうしゃ)ともいわれる。祭神は
昨年12月27日に訪れ、しばし境内でウサギさんの撮影会を楽しんだが、団体さんやら、
参拝後にウサギの置物を買い求めることにした。びょうぶ付きで、ウサギに彩色が施された派手なものを求めようとしたが、あいにく品切れということで、1個1500円と同じ金額で色白のものを買った。
狛ウサギといえば、三室戸寺(京都府宇治市)の本堂前に置かれた福徳兎(うさぎ)も忘れられない。昨年6月に見た、御影石製のつやつやした像。応神天皇の子が初めて宇治に来たとき道案内したのがウサギだという。

大阪府庁内を見学し、水上バスクルージングを楽しむという旅行会社主催の「大阪再発見ツアー」があるというので同行取材させてもらった。意外といっては失礼だが、ツアーが組まれた3日間はいずれも定員いっぱいの大盛況。府庁を拠点に大阪の将来のあり方を問い続ける
ツアーを企画したのは、名鉄観光サービス。知っているようで知らない身近な大阪を知ろうという、府との“コラボ”の第1弾。売り上げの一部は橋下知事が打ち出している「大阪ミュージアム基金」に寄付されるという。
続いて府議会議場。入り口の壁にかかる代々の議長らの写真が歴史を感じさせる。議場は、天井や傍聴席に彫刻を施した木をふんだんに取り入れた立派なつくりだ。よく見ると、議場の知事席のいすの幅が、副知事や他の幹部のものより広い。今まで気づかなかった。


次は記者会見室。広報担当者が、情報やマスコミに関する知事の考え、職員と知事との日常的なやりとりを、裏話を交えて紹介した。記者席に陣取ったツアー参加者からは鋭い質問や意見が飛び交った。
連日マスコミをにぎわしている大阪府と大阪市の問題にも関心が集中した。「知事は大阪市長選に出るんですか?」「橋下知事と平松市長との対立はできレースとの噂を聞きます。本当のところはどうなんですか?」。大阪のおばちゃんの鋭すぎる質問には、担当者も苦笑いしながら丁寧に答えていた。
だが、記者にはなじみの深い府庁といえども、やはりニュースが生まれる舞台。一般の人にとって、舞台と、その舞台裏をかいま見れば、関心はさらに高くなる。関心が高まれば、大阪をよくしようという議論も盛んになる。
平成27年春までの計画で「平成の大修理」が行われる国宝

建屋の7階は大天守の最上階にあたる5層部分、8階は大天守の屋根と同じ高さ。実際にそこに立つと、いつも遠くから眺めていただけに、不思議な感覚になる。
ふと、窓の下に茶色の何かが突き出ているのに気づいた。直径3センチほど、長さ20センチほどの突起物だ。取材の案内をしてくれた
大天守を覆う工事用建屋(高さ52メートル、横・奥行き47メートル)は7割近くが完成している。来年3月26日にオープンする「天空の白鷺」は大天守の南側に位置する。
また、工事用建屋の外壁には、線画で実物大の大天守を描いたメッシュシートを順次張り出しており、工事期間中も
■義理と人情
■なぜか縁結び
豊岡市側には「どこに行ったら会えるの?」といった問い合わせ電話が殺到。市はさっそく玄武洞公園の休憩所に玄さんの「顔出し看板」、続いて「カップルのかたい絆」を願って木製オブジェ「縁結び玄さん」を設置した。休憩所内の観光用ノートには「ここに来て結婚できました」と“ご利益”に感謝するメッセージまで書き込まれるなど、次々と話題を呼んだ。
地元業者も玄さん人気を放ってはおくわけがない。「玄さんもち」などの食べ物類をはじめ、携帯ストラップやCDなど、さまざまなグッズが誕生。市が9月末までの玄さん関係の効果をまとめたところ、グッズ類の申請数は約170件にのぼった。同公園の入場者数も玄さんデビュー前から大幅に増えた。
1月の仕事始めには、願いをかなえてくれると伝えられる鼻かけ地蔵(豊岡市城崎町)に初詣。玄さんはマイクを向けられると、「山陰海岸ジオパークが世界ジオパークに認定されることを祈ったよ」と年始めにふさわしいコメント。その様子は関西ローカルのニュース番組で取り上げられた。
デビュー1周年を祝って地元小学校では“誕生会”が催された。用意されたケーキにナイフを入れるよう促された玄さんは「わしが切るんか?」と照れ屋の一面ものぞかせた。
「玄さんは玄さん。中に人は入っていません」というのが市側の公式回答。だが、実際は市観光課の職員らが交代で玄さんを担当している。だから、いつも元気でパワフルなのだ。
■食傷気味?
駅長就任4年目の日に小嶋光信社長から辞令を受け取ったの。2本線の金帯が入った駅長帽ももらったのよ。課長級のスーパー駅長から執行役員に
ちなみにデザインしたのは「
小嶋社長が岡山県のスケート連盟会長も務めていた縁で、社長が大会前、特注で作ったわたしのお守りを高橋選手に渡したんだって。「猫は着地に失敗しないから」だって。
8月4日 ついに駅舎完成。名付けて「
8月8日 着ぐるみのたま駅長代行が勤務スタート。わたし実は、日曜日はお休みをもらってるんだけど、会いに来てくれたお客さんのために駅長代行が登場することになったの。ちょっと大きいけれど、わたしに負けずチャーミングだから、よろしくね。
12月15日 わたし、今度は
土俵が鉄製なので、磁石や吸盤で土俵に密着させるのがポイントらしい。ただ、密着させて動かないと反則負けになるため、動かしながら密着させるのが難しい。
ちなみに行司は資格制度があり、主催者の富士ソフトの社員や工業高校の先生が資格を取って参加しているそうだ。どうりでてきぱきしているし、説明の声も分かりやすい。
決勝リーグが始まった。ラジコン型は香川県立三豊工高の2チームと大阪電気通信大学のチームが進出した。三豊工高の「八代将軍」(同高1年生、八代貴裕さんの名前から取ったのだろう)は素早いダッシュがウリらしい。他の2チームを蹴散らして優勝を決めた。八代さんは「初めて参加した大会で勝ててうれしい」と喜びの声。
最後は62歳の男性、「チーム両国」の「六次元K」を操る元大学教員、木島泰道さん=兵庫県西宮市=が、飛び込んできた相手をかわして優勝。教え子たちから胴上げされていた。木島さんは「勝てて普通にうれしい」と、ベテランらしいクールなコメントでした。(慶田久幸)
団扇(うちわ)、舞扇(まいおうぎ)、舞踊小道具を扱う京都の「小丸屋住井」を、
これも私事だが、小丸屋に取材すると妻に告げると、「いいなあ、ずるい。私も行きたい。小丸屋さんの団扇がほしい」と騒ぎ出し、本当に私の取材数日後に大阪から京都まで行ってしまった。女性にはあこがれのお店らしい。
小丸屋は代々の当主が芸事をたしなんだため、各界に顔が広かったらしい。女将さんの話には「おばあちゃんが五代目菊五郎さんから…」など江戸から明治、大正、昭和にかけての逸話や著名人らが次々と登場する。歴史あっての今ということが伝わってくる。
店頭には踊りのお師匠さんらしき人たちがひっきりなしに訪れ、演目に合わせた小道具について相談していた。企業の経営者らしき人も来ていて、得意先に配った団扇が好評だったなどと話していた。なるほど、そういう需要もあるのか。
仕事の時間を割いて職人の木野高利さん(45)が、団扇づくりをダイジェストで見せてくれた。木野さんは同店で20年以上の道具づくりのキャリアを持つほか、各地で催される舞台の進行などを裏で仕切る狂言、つけうちといった仕事も行っている。
竹の骨と地紙に、薄くといた糊(のり)を塗り、互いを合わせ、なぜてなじませる。紙は隙間を持たせた袋ばりになっていて「乾いたときに反らないよう一番気を使うところ」だという。
団扇の縁に朱色のヘリ紙をはり、店名の入った柄巻(えまき)をつけると、一気に雰囲気が引き締まる。竹へらで骨の間にてスジを入れ最後の仕上げ。数ができあがると柄をずらして重ねる「六法積み」と呼ばれる昔ながらの方法で、花街に納品されるという。
すべての工程が昔のまま。書や手書きの絵をはる場合、にじまないよう食品包装フィルムをあてるなど工夫もしているとのことだが、むしろさらに手がかかっているような…。薄いヘリ紙をはる工程などは、手先が不器用な筆者は見ているだけで気が遠くなりそうだった。
団扇は、部屋のインテリアにしてもいいし、実用にして紙が破損したり汚れたりしたら、張り替えてもらえるという。女将さんは「骨は大事にしてください。団扇の骨を作れる職人さんはもう少ないんですよ」。
by マニアック街道取材班
タダで楽しむ銀座(下)資生堂…