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タダで楽しむ銀座(下)資生堂、INAX、企業のギャラリー頑張っています。天才建築家のあのビルも

2011/03/03 00:54

 

 2週間空いてしまったが、タダで楽しむ銀座の後編。行ってみよー。

 【ギャラリー編】

 銀座には企業のショールームが数多くある。ソニービルや日産ギャラリーなどが代表的だ。だが、自社の商品ではなく、美術作品などを展示する本格的なギャラリーも存在するところが銀座らしい。

 向かったのは8丁目の資生堂ギャラリー。ここは1919年、「陳列場」として、後の資生堂初代社長となる福原信三によって開設された。途中、関東大震災や太平洋戦争などで休止したことはあったが、現在まで連綿と続く90年以上の歴史を持つギャラリーだ。

 現在の建物は2001年に建てられた東京銀座資生堂ビルの地下1階にある。上階には資生堂パーラーなどがあり、食事やスイーツも楽しめる(ここはタダではありません)。

 現在、「shiseido art egg(シセイドウ・アート・エッグ)」展が開かれている。公募で出展者が決まるこのプログラム、今年は261件の応募があったそうだ。

取材日は、今村遼佑さんの「ひるのまをながめる」が行われていた(2月27日まで)。

 がらんとしたギャラリー。一瞬、「今日は休みかな」と思ってしまうが、実はあちこちに仕掛けがある。床の上の円盤が突然浮き上がったり、どこからともなく「コツコツ」と音が聞こえてきたり。

 よく見ると円盤は、天井から糸でつるされており、糸はさらに壁にあるオルゴールのドラムにつながっている。これ以上書くとネタばらしになってしまうが、日常の中にある感覚や現象が現実なのかどうか、その境界に見え隠れする風景を表現しているそうだ。

 そこまで難しく考えなくても、仕掛けを探すだけでも楽しい。

 1月は藤本涼さんの写真を使った作品、3月(4~27日)は川辺ナホさんのビデオ作品が登場する。「期せずして、事実は本当に事実なのか、と現実と虚構の問題を問うような3人の作品が選ばれました」と学芸員の森本美穂さん。年配の人にも、面白かったと評判だそうだ。

 もうひとつお薦めは、銀座をはみ出てしまうが、INAXギャラリー(中央区京橋)。こちらも本格的な展示が見られる。

 ギャラリー1では、3月3日からは「にっぽんの客船 タイムトリップ展」と題して、戦前、世界一周航路をとった「あるぜんちな丸」(大阪商船=現商船三井)と、東京と伊豆諸島を結んだ「橘丸」(東京湾汽船=現東海汽船)を取り上げる。写真や模型、レストランメニューなどを展示し、当時を追体験してもらおうという企画だ。なお、現在は同じ建物のガレリアセラミカで「田中礼展 -陶彩の宴」が開かれている。

 どちらもすごいのは、企業のPRとは全く関係ない点だ。もちろん、イメージアップという意味はあるが、直接利益につながるものではないし。

 【建物編】

 銀座には高層ビルも1000年を超す寺院もない。だが、常に注目される建物が建てられてきた。そのいくつかを紹介しよう。

 まず、数寄屋橋公園のそばにある中央区立泰明小学校。開校は明治11年だが、関東大震災で焼失、昭和4年に鉄筋コンクリートで再建された。「表現主義と呼ばれる建築様式の建物で、カーブを描く壁面やアーチ窓等を使った外観に特徴がある。L字型校舎の南端に位置する玄関部分には、柱や入口庇等に個性的な装飾が集中して施され、建物の顔となっている」と入り口そばの銘板にある。平成11年には東京都の歴史的建造物、平成21年には経済産業省より近代産業遺産に選ばれた。ちなみに、島崎藤村や北村透谷が卒業した学校としても有名だ。

銀座の南東のはずれ、築地に近い8丁目にあるのが、中銀カプセルタワー。4年前の都知事選に立候補・落選した建築家、黒川紀章さんの設計。1972年に完成した。

 1960年代、黒川さんらが中心となった「メタボリズム」(太っているということではなく、正しい意味の新陳代謝)という運動があり、都市は人口や生活に合わせて成長するべきだ、と主張した。それを具現化したのが、このタワーだそうだ。ひとつひとつが独立したカプセルになっており、必要に応じて増やしたり、交換したりするという構想だった。

 1階にそのカプセルが1つ置いてあり、中をのぞけるようになっている。室内は幅2・3メートル、奥行き3・8メートル、高さ2・1メートル。ここに、据え付けのベッドやテレビ、ユニットバスなどがあるが、洗濯機は置けないそうだ。

 黒川さんの理想と思想が結集したような作品だが、半面、窓も開かず、息苦しい感じは否めない。とはいえ、理想のためにここまでやってしまう、やはり天才である。

 建て替え問題などいろいろと言われているが、ル・コルビュジエの作品を世界遺産にしようと運動するなら、これも世界遺産でいいのではないか、と言う気もする。

 もう一つ、まるで自分の目がおかしくなったかと思うのが、ぐにゃりと全体にゆがんだデビアス銀座ビル。ダイアモンドのブランド、デビアスだ。2008年の完成。中は怖くて?入れないが、3年経っても注目が絶えないビルだ。設計は光井純さん。

 ということで、歩いてきましたがそろそろ、お疲れの頃。最後は銭湯で汗を流しましょう。どこにあるかって?。それは自分で探してみてください。(慶田久幸)

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タダで楽しむ銀座(上) 銀恋、柳、啄木の石碑…200のギャラリー巡りも

2011/02/17 17:24

 

 昨年秋、タダで楽しめる上野公園散策を取り上げたが、今回は銀座。高級な街で知られ、お金があったらいくらでも楽しめる銀座だが、このコーナーは取材費が出ないので無理。ということでタダで楽しめる銀座あれこれを紹介しよう。


 【石碑編】銀座には、さまざまな歴史を記した石碑や記念碑が点在している。
 地下鉄銀座駅を上がる。すぐ脇が年末ジャンボなど宝くじの売り出しで有名な西銀座チャンスセンター。その前の数寄屋橋公園の一角に「銀恋の碑」がある。
 石原裕次郎と牧村旬子が歌っており、「デュエットソングの定番」とよく紹介される「銀座の恋の物語」だが、この歌を歌った記憶がないなあ。碑に「昭和36年の発売以来170万枚を更新中、石原裕次郎が惜しまれつつ没した…」とある。もっと年配の人が歌うんだろうな。1990年の設置だ。
 晴海通りと外堀通りが交差するのが数寄屋橋交差点。
 数寄屋橋の名前のとおり、ここは昔、江戸城の外堀があり、橋がかかっていた。名前の由来は織田信長の弟、織田有楽(うらく)斉の数寄屋風の屋敷があったことからといわれている。この人、有楽町の名前の元にもなったが、どちらも異論があるようだ。
 外堀は埋め立てられて高速道路とその下に西銀座、ギンザファイブなどのショッピングセンターができ、橋もなくなったしまった。
 晴海通りの向こうには「数寄屋跡碑」の碑もあり「数寄屋橋 此処にありき 菊田一夫」と刻まれている。
 1952年に放送され、銭湯を空にしたという(そんな時代を知らないけど)伝説のラジオドラマ「君の名は」の舞台だ。数寄屋橋の上で、真知子と春樹が空襲の夜に出会い、再会を誓うが何度もすれ違い…。この脚本家が菊田一夫氏だ。古い話ですいません。
 その奧が「若い時計台」。すぐに岡本太郎の作品と分かる。1966年の作品で太陽の塔より早い。
 ちなみにこの高速道路は首都高速ではなく、東京高速道路、通称「会社線」と呼ばれ、汐留と京橋で首都高環状線とつながっているが、ここだけはタダで走れる道路なのだ。
 高速の向こうには「明治大学発祥の地碑」。明治法律学校が、1881年に開校した場所である。石碑は駿河台にある校舎を模したものなのだが、ある卒業生の女性が「あら、あの校舎はこの碑を真似たのね」と言ったという…。
 数寄屋橋交差点から晴海通りを東へ向かい、並木通りを右に曲がって、6丁目まで来ると、朝日ビルの前に歌碑がある。「京橋の滝山町の新聞社 灯ともし頃のいそがしさかな」、石川啄木の歌だ。この辺は当時、滝山町と呼ばれ東京朝日新聞社があった。啄木は1909年からしばらく校閲係として勤めていたそうだ。
 並木通りを南に行き、さっきの高速道路にぶつかったら左へ行くと、中央通りに出る。
 ここでちょっと銀座をはみ出す。高速道路の先、新橋寄りに「銀座柳の碑」がある。「植えてうれしい銀座の柳…」。あれ、歌詞が違う。「昔恋しい…」で始まるのでは、と調べてみると、後者は1929年にヒットした「東京行進曲」(西条八十作詞、中山晋平作曲、佐藤千夜子歌)で、前者は同じ人の作詞作曲で1932年、四家文子が歌ってヒットした「銀座の柳」という歌だそうです。 ちなみにその脇にある柳は「二世」とわざわざ建設省が看板を出しています。
 さて、一気に中央通りを北上。銀座松屋の先、ティファニーの前に「銀座発祥の地 銀座役所跡」の石碑がある。
 石碑には「慶長十七年(1612年)徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す」とある。
 さらに北へ上がり、高速道路の下にあるのが「煉瓦銀座の碑」。碑によると、「明治五年(1872年)、銀座は全焼し、焼失戸数四千戸と称せらえる」。そこで、当時の東京府知事が不燃性建築を企画し、政府が国費でれんが造りの2階建てアーケード式洋風建築を完成させたのだ。
 ちなみに中央区観光協会のホームページには、「銀座煉瓦街ができた頃、風趣を添える街路樹として松、桜、まきの類も植えましたが、風塵のために育たず、次第に柳だけになってしまいました。大正10年いちょうに植えかえられましたが、柳の風情を惜しむ声は強く、(略)昭和6年柳並木が復活、(略)しかし、東京大空襲によりほとんどが焼失、その後復活しましたが、昭和43年銀座通りの大改修等により、銀座通りから柳並木がなくなりました。現在は街の人たちの尽力により銀座の柳二世が育てられ、西銀座通りに復活しました。また、全国に贈られ植樹されています」とある。銀座のれんが街と柳には深い関係があったわけですね。
 他にも多くの石碑、記念碑があるのだが、とても紹介しきれない。興味のある方は、中央区観光協会のホームページを見て探してください。
 

【画廊編】
 銀座には200ともいわれる画廊がある。「えーっ、どこに?」と思われる人も多いだろう。大通りにはあまり見かけないが、ちょっと奧へ入って、気をつけて見ると、そこここに見つかる。
 画廊には、企業画廊、プロ・アマの画家が発表の場として使われる貸し画廊、絵画の取引をする画廊などがある。いずれも見ることは可能だが、取引する画廊はちょっと、と言う人は、まず企業の名前が付いた画廊を選んで、勇気を出して入ってみよう。
 ということで入ったのが、交詢ビルの南側にある銀座幸伸ギャラリー。「中松薫里(かおり)陶器絵付作品展」が開かれていた(2月13日まで)。西洋陶器の上絵付けのアーティストの中松さん、父は発明家のドクター・中松氏だ。
 ギャラリーには、イタリアン風おせち用のお重のセットのほか、白いコチョウランや青いチョウを描いた作品など約点が並んでいる。販売もしている。9枚の皿に描いたしだれ桜の連作の絵皿もきれいでユニークだ。
 会場には中松さんもいて、気さくに話してくれた。
 おっと、もうこんなに。ということで続きはまた次回。(慶田久幸)
 

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「トキワ荘」跡をいく 懐かしい昭和を探して

2011/01/26 15:00

 

 手塚治虫赤塚不二夫、藤子不二雄ら人気漫画家が住んでいたことで知られる「トキワ荘」。東京都豊島区にあったこのアパートとその周辺を紹介する地図ができた。地図は豊島区のホームページ(http://www.city.toshima.lg.jp/)から入ってダウンロードしてください。

 

 ということで巨匠たちが若いころ、夢を語って過ごした場所を、地図を手に歩いてみた。この地図をダウンロードしてから読んでもらうと分かりやすいです。

 

 このあたりへ行くのに、一番分かりやすいのは西武池袋線椎名町駅で降りて、山手通りの南長崎1丁目交差点を右折し、目白通りへ入るコースだろう。

 

 地図によると、この交差点にはトキワ荘の漫画家たちが通った「エデン」という音楽喫茶があったという。

 

 音楽喫茶を知らない皆さんに説明すると、まだ、iPodもウオークマンもない時代、ステレオもない学生などは音楽を聴こうと思うと、こういう所へ行ったのだ。(あえていうと、私の学生時代はもうウオークマンがあったからね。カセットだけど)

 

 クラシックレコードがかかるのが音楽喫茶で、ジャズがかかるのはジャズ喫茶と呼んだらしい。

 

 エデンは残念ながら、すでになくなっており、ビルになっていた。

 

 目白通りを50メートルほど進むと、右手に、目白映画という映画館があったという。ここもマンションに建て代わっていた。

 

 さらにその奥へ入ったところにあったあけぼの湯という銭湯もなく、「区民ひろば富士見台」という集会場になっている。

 

 地図に載っている当時の建物はないのか。ということで、トキワ荘で街おこしを進めているとトキワ荘通り・協働プロジェクトの事務局長で、時計店「スエヒロ堂」店主の小出幹雄さんに聞くことにした。

 

 目白通りを進むと目白通り二又商店会。南長崎交番(通称二又交番。ここも改修されたが、昔の建物だそうだ)で右の通りに入るとニコニコ商店街。小出さんらの運動の成果で2つ合わせて「トキワ荘通り」と呼ばれている。街灯のポールにも「トキワ荘通り」のフラッグが下がっている。

 

 まず、落合電話局。ここは1階の窓がふさがれたり、入り口にステンレス製のひさしがついたりしているが、当時の建物であるそうだ。ただ、入り口は閉まっており、電話局としては使われていない。

 

 近くには、当時重要な連絡手段だった公衆電話のボックスがあったそうだが残念ながらなくなっている。まあ当然といえば当然だが。

 

 その斜め前にある紫雲荘は、赤塚不二夫がトキワ荘だけでは手狭になったため借りたアパート。外観はきれいにされているが、建物にそのころの雰囲気が残っている。

 

 その向かい奥にある子育地蔵尊。脇の解説板によると、1710(宝永7)年、通行の安全を祈願して建てられたとある。元はもう少し南の目白通り沿いにあったが目白通りの拡幅に伴い、1938(昭和13)年に現在地に移転させたそうだ。

 

 そして、中華料理「松葉」。多くの漫画家がお世話になり、漫画にも取り上げられた店だ。ラーメンは今1杯480円。鶏ガラしょうゆ味のスープ、チャーシューとワカメというシンプルなものだが、懐かしい昭和の味といえそうだ。

 

 その前に「トキワ荘跡入り口」の立て看板がある。

 

 この路地の奧にあったトキワ荘は1952(昭和27)年に完成。53年に手塚治虫が入居して、東京での漫画家活動を始めた。

 

 その後、寺田ヒロオ、藤子不二雄、石森章太郎(石ノ森章太郎)、赤塚不二夫、水野英子、よこたとくおらが次々と入居。漫画家の梁山泊と呼ばれるようになった。偶然ではなく、それだけの人が切磋琢磨していたのだろうし、逆に低いレベルの人は入れなかったということだろう。

 

 建物は老朽化し、1982(昭和57)年に解体された。現在は出版会社の建物になっている。「関係者以外立ち入りお断り」との張り紙もあり、無法な来訪者に悩んでいるようだ。

 

 2年前、この先にある「南長崎花咲公園」に「トキワ荘のヒーローたち」という記念碑ができた。

 

 石碑の上にトキワ荘の模型があり、石碑にはトキワ荘の住人らの似顔絵とサインが入った金属板が張られている。

 

 残念なのは、それぞれの跡地に当時をしのばせる写真や説明板がないこと。小出さんによるとほとんど当時の写真がないそうだ。まあ、当時は珍しい風景でもないし、こんなに有名になるとも思っていないだろうしねえ。小出さんたちの今後の活動に期待しましょう。

 

 ただ、松葉の少し東にある、東京信用金庫椎名町支店に「トキワ荘の窓」というトキワ荘とその周辺の写真を集めたショーウインドーがある。そこで当時をしのんでみてください。

 

 なお、杉並アニメーションミュージアム(東京都杉並区上荻)では企画展「トキワ荘のヒーローたち」を開催中。ここでは思い出の品や作品、寺田ヒロオの部屋が再現されるなど、見て楽しめる構成になっている。2月20日まで。月曜休館。無料。(慶田久幸)

 

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ポップでかわいい!京都・岡崎神社、三室戸寺の狛ウサギ

2011/01/23 00:08

 

 関西を中心に毎週1回掲載中の「都名所図絵-京都検定1級合格記者版」で、寅(とら)年だった昨年のこの時期、祇園(京都市東山区の)一角に建つ臨済宗寺院、建仁寺の塔頭(たっちゅう)の毘沙門天堂の狛(こま)トラを紹介した。ということで、卯年の今年は、狛ウサギのいる岡崎神社(左京区)を紹介する。

 

 神社は平安京に遷都された延暦13(794)年、都の守り神として建立された由緒を持ち、別名、東天王社(ひがしてんのうしゃ)ともいわれる。祭神は祇園祭で有名な八坂神社と同じスサノオノミコトなど。

 

 この周辺は以前、野ウサギが多かったことから神社ではウサギを神の使いとしている。それだけに、丸太町通沿いに建つ鳥居や本殿の両脇に掛かるちょうちんの絵柄を見てもウサギ、そして手水(ちょうず)舎にある子授けウサギ像などと、境内はまさにウサギ尽くし。

 

 本殿前の狛ウサギは昨年10月に登場したばかりの新人さん。高さ約45センチで、本殿両脇にちゃんと阿吽(あうん)一対になっている。絵本から抜け出たような愛らしさに存在感も抜群。

 

 昨年12月27日に訪れ、しばし境内でウサギさんの撮影会を楽しんだが、団体さんやら、アベックやらも参拝者が途切れることはなく、参拝者は必ず写真を撮影して帰るなど、すでに大ブレークの予感を漂わせていた。

 

 参拝後にウサギの置物を買い求めることにした。びょうぶ付きで、ウサギに彩色が施された派手なものを求めようとしたが、あいにく品切れということで、1個1500円と同じ金額で色白のものを買った。

 

 西隣には今春、750回忌を迎える親鸞ゆかりの東本願寺の岡崎別院が、北隣には800回忌を迎える法然ゆかりの金戒(こんかい)光明寺が並ぶ。もしかして、岡崎神社一帯が今年の隠れ名所になる可能性もあり、目が離せない。

 

 狛ウサギといえば、三室戸寺(京都府宇治市)の本堂前に置かれた福徳兎(うさぎ)も忘れられない。昨年6月に見た、御影石製のつやつやした像。応神天皇の子が初めて宇治に来たとき道案内したのがウサギだという。

 

 手前の玉の中には卵があり、両手で立たせることができれば願いがかなうという面白さもある。

 

 ところで昨年、京都検定企画で十二支の狛イヌがそろえばという話をしたが、来年は辰年。ということは狛龍…。どうやらありそう。また、京都検定企画やこの「マニアック街道」で機会があれば紹介したいと思っている。

 

 ちなみに帰りがけに昔からそろっている岡崎神社の狛イヌをみる。主役を奪われてどこか寂しそうに見えたのは、心が寒々と冷え切ったこのおじさん筆者だけだろうか。(園田和洋)

  
左は阿形の狛ウサギ。ちゃんと口が開いている。右は吽形(うんぎょう)の狛ウサギ。こちらは口を閉じている=京都市左京区の岡崎神社

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橋下知事の部屋にあった意外な… “大阪再発見”府庁見学ツアーは大盛況

2011/01/07 08:05

 

 大阪府庁内を見学し、水上バスクルージングを楽しむという旅行会社主催の「大阪再発見ツアー」があるというので同行取材させてもらった。意外といっては失礼だが、ツアーが組まれた3日間はいずれも定員いっぱいの大盛況。府庁を拠点に大阪の将来のあり方を問い続ける橋下徹知事の人気と情報発信力を改めて認識させられた。

 

 ツアーを企画したのは、名鉄観光サービス。知っているようで知らない身近な大阪を知ろうという、府との“コラボ”の第1弾。売り上げの一部は橋下知事が打ち出している「大阪ミュージアム基金」に寄付されるという。

 

 参加料金は1人3千円。12月17、21、22の3日間行われ、いずれも定員の30人いっぱい。最終日の22日に同行した。

 

 午後2時、府庁正面玄関に集合。参加者は中高年層が中心だ。広報課の職員がハンドマイクを持って案内を始めた。

 

 

 

 

 

 府庁本館は大正15年築。現在使用されている都道府県庁舎では最も古い。建築設計はコンペ方式で平林金吾、岡本馨両氏の共同設計が採用されたという。総工費は384万円。今の価値に換算したらいくらになるのだろう。

 

 玄関ホールは3階まで吹き抜けになっており、大きく長い柱が12本ある。大階段はイタリア産の大理石。他の役所の建物とは格が違う。かつての「大大阪」を感じさせる荘厳な趣だ。知事の等身大写真パネルがちょっと浮いた感じに映らなくもない。

 

 ちなみにこの玄関ホールは映画のロケなどにも利用されており、マイケル・ダグラス、高倉健主演のハリウッド映画「ブラックレイン」(1989年)、最近では木村拓哉主演の映画「HERO」(2007年)などに登場している。

 

 続いて府議会議場。入り口の壁にかかる代々の議長らの写真が歴史を感じさせる。議場は、天井や傍聴席に彫刻を施した木をふんだんに取り入れた立派なつくりだ。よく見ると、議場の知事席のいすの幅が、副知事や他の幹部のものより広い。今まで気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 2階の傍聴席は別として、議場に一般の人が入ることはめったにない。参加者からは途中、「議員席に座ってもいいですか?」との声もあったが、府側は「ご遠慮いただいております」。府民側代表の座席。府政について学ぼうと訪れた人たちなのだから、座るくらいいいような気がするのだが…。

 

 

 

 

 ツアーのハイライトは知事室の見学。橋下知事は香港出張であいにくの留守だった。机の上には山のように書類や本が積み上げられていた。参加者のおばちゃんたちは「意外に狭いな」「ここでいろんなこと決めてはんねんな」と口々につぶやき、窓から見える大阪城の見晴らしに大いに感心していた。

 

 

 

 

 記者は取材で知事室に何度か入ったことがあり、橋下知事にインタビューしたこともある。意外だったのは、知事室の片隅に「ぶら下がり健康器」があったこと。担当者によると、「ごくたまに使う程度ですが、知事が軽々と懸垂されるのを見せてもらいました」という。元ラガーメンの知事。運動不足で体をなまらせたくないのだろう。同世代としてもわかる気がする。

 

 

 

 次は記者会見室。広報担当者が、情報やマスコミに関する知事の考え、職員と知事との日常的なやりとりを、裏話を交えて紹介した。記者席に陣取ったツアー参加者からは鋭い質問や意見が飛び交った。

 

 「府の部署がWTCに引っ越しするスケジュールは?」「移転した場合、跡地はどうなるんですか?」「カジノ構想の見通しは?」「記者会見の動画をネットで見ているが、記者は社名を名乗るべきだ」

 

 

 

 連日マスコミをにぎわしている大阪府と大阪市の問題にも関心が集中した。「知事は大阪市長選に出るんですか?」「橋下知事と平松市長との対立はできレースとの噂を聞きます。本当のところはどうなんですか?」。大阪のおばちゃんの鋭すぎる質問には、担当者も苦笑いしながら丁寧に答えていた。

 

 この後、参加者たちは大阪ミュージアム構想についてレクチャーを受けた後、天満橋から水上バスで夜のクルージングを楽しんだ。

 

 ふだんから府庁にはだれでも足を踏み入れることができる。知事の発言や府の情報は連日といっていいほどマスコミで報じられる。

 

 記者としてツアーの募集要項を読んだ限りでは「金を払って府庁を見学したい人なんている?」と疑問を抱いていた。

 

 

 

 だが、記者にはなじみの深い府庁といえども、やはりニュースが生まれる舞台。一般の人にとって、舞台と、その舞台裏をかいま見れば、関心はさらに高くなる。関心が高まれば、大阪をよくしようという議論も盛んになる。

 

 大阪人は合理的でケチなイメージがあるが、本当に必要なもの、大事なことには金も使うし、まじめに考えるところがある。

 

 橋下知事人気は当然あるにしても、「お上任せ」を嫌う大阪人、大阪の地盤沈下を憂う人たちには、自分の目と感覚で府政を体感できるツアーは意外に受けたのではないだろうか。

 

 ちなみに名鉄観光サービスでは今後、第2弾として身近な場所を訪ねる「大阪バスツアー」も計画しているとのことでした。(も)
 

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何これ?窓下に突き出る無数の… 「平成大修理」姫路城の見学ポイント

2011/01/06 07:32

 

 平成27年春までの計画で「平成の大修理」が行われる国宝姫路城兵庫県姫路市)。その大天守のすべての窓の下から長さ約20センチのパイプが突き出ていたことをご存じだろうか。筆者も実は関係者から「パイプは工事期間しか間近に見られない“隠れポイント”ですよ」と教えてもらって初めて知った。これまで漠然と眺めていた大天守のあちこちに確かにパイプが出ているのを目の当たりにし、ちょっとした衝撃だった。(姫路支局 勝田康三)

 

 

 

 姫路城の大天守は現在、「素屋根」と呼ばれる8階建て工事用建屋の建設中で、12月13日にその内部が報道陣に公開された。

 

 

 瓦のふき替えや白壁の塗り替えなどは来春から本格化。建屋には約5年間の工事期間中、そうした職人による修復作業を間近で見学できるスペース「天空の白鷺」が設けられ、大天守の最上階を“外側”から一望できるようになる。

 

 建屋の7階は大天守の最上階にあたる5層部分、8階は大天守の屋根と同じ高さ。実際にそこに立つと、いつも遠くから眺めていただけに、不思議な感覚になる。

 

 近くでみる大天守は、確かにあちこちに傷みが目立って痛々しい。最上階の屋根は、瓦を固定する目地漆喰がところどころではがれ、軒先の白壁はすっかり落ちて木材がむきだしになっていた。

 

 ふと、窓の下に茶色の何かが突き出ているのに気づいた。直径3センチほど、長さ20センチほどの突起物だ。取材の案内をしてくれた姫路市城周辺整備室の担当職員に尋ねると、「銅製のパイプですよ」と教えてくれた。これが大天守の全窓下にあるという。

 

 パイプは姫路城大天守が築城された1609年のときからあったという。

 

 各窓には敵からの攻撃を防ぐための防火戸が設置されている。雨のときは防火戸を閉め、敷居の溝(幅約7センチ、深さ3センチ)に集まった雨水を穴からパイプを通して外に排水する。

 

 かつては鉄製だったが、「昭和の大修理」(昭和31~39年)のときに銅製に変えられた。

 

 担当者いわく「木造建築に雨水は最大の“天敵”。姫路城の大天守は美しいだけでなく、江戸時代から機能性を重視し、緻密な設計で造られていたことが分かります」。

 

 姫路市によると、たまに「何かが大天守に刺さっているように見える」とパイプに気づいた人から問い合わせがあった。しかし、姫路城をいつも見ている市民の間でも知られていない存在という。大天守の圧倒的な存在感や黒い瓦がカムフラージュになっているのだろうか、なかなか気づかせないところもすごい。

 

 大天守を覆う工事用建屋(高さ52メートル、横・奥行き47メートル)は7割近くが完成している。来年3月26日にオープンする「天空の白鷺」は大天守の南側に位置する。

 

 見学スペースがある7、8階には2基のエレベーターで登ることになる。エレベーターはガラス張りになるので、移動中も窓下のパイプに気づく人が増えるかもしれない。

 

 市や工事関係者によると、「平成の大修理」では来年1月から屋根瓦や漆喰面、壁などの損壊状況の調査を開始。約8万枚の屋根瓦を一度取り外した後、割れた瓦を新品に取り換えて張り直す。白壁は4層と5層部分を完全に崩してから新たに塗り直す。

 

 また、工事用建屋の外壁には、線画で実物大の大天守を描いたメッシュシートを順次張り出しており、工事期間中も姫路城の存在感をアピールする。

 

 姫路市では「天空の白鷺」での団体(30人以上)予約の受け付けを始めているが、すでに6月上旬まで満杯という。個人の予約はオープンの1カ月前から始める。

 

 市姫路城管理事務所の村田和宏所長は「50年に一度の工事なので、ぜひ見に来てほしい」と話している。大天守を間近に、それも修復の作業を見られる機会は滅多にない。マニアックなポイントではあるが、見学される方はぜひ銅製パイプにも目を向けてほしい。
 

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「イベント出すぎ」でクレーム!? おっさん系ゆるキャラ「玄さん」大活躍

2011/01/05 07:00

 

 全国で次々とゆるキャラが誕生する中、兵庫県豊岡市では、異彩を放つ“おっさん系ゆるキャラ”が大活躍している。国の天然記念物・玄武洞にちなんだ「玄さん」。「わしは……じゃ」とゆるキャラには珍しくしゃべるのが特徴。県北部の但馬地方のイベントにやたらと出現し、すっかりおなじみになっているが、最近はあまりの露出ぶりにマスコミ側から「玄さん、出すぎ」と軽いクレームがつくほど。ローカルで盛り上がる玄さんの奮闘ぶりを詳しくお伝えしたい。(豊岡支局 山田淳史)


■義理と人情

 平成22年10月、玄武洞公園を含む「山陰海岸ジオパーク(地質公園)」が「世界ジオパーク」に認定された。玄さんはそのPRキャラとして前年の11月に豊岡市がデビューさせた。

 

 推定年齢は、玄武洞が現れた時期とされる160万年前と同じ約160万歳。六角形の顔に、ねじり鉢巻き。太い眉毛は、つけはがしができ、喜怒哀楽も表現できる。

 

 かぶりものは頭部だけ。服装はTシャツ、腹巻き、法被、作業ズボンと長靴の石工スタイルだ。全身着ぐるみの他のゆるキャラよりかなり身軽といえる。

 

 趣味は自然観察。漬物で食べる地元産のおいしいごはんと、どぶろくが好物。160万年経っても角の取れない頑固な性格だが、心根は優しく、義理と人情に厚いという。


■なぜか縁結び

 ゆるキャラといえば、ブームの火付け役「ひこにゃん」(滋賀県彦根市)のように“癒し系”が定番。ゆるキャラのセオリーからは少し外れた玄さんだが、デビュー直後から大ブレークした。

 

 豊岡市側には「どこに行ったら会えるの?」といった問い合わせ電話が殺到。市はさっそく玄武洞公園の休憩所に玄さんの「顔出し看板」、続いて「カップルのかたい絆」を願って木製オブジェ「縁結び玄さん」を設置した。休憩所内の観光用ノートには「ここに来て結婚できました」と“ご利益”に感謝するメッセージまで書き込まれるなど、次々と話題を呼んだ。

 

 地元業者も玄さん人気を放ってはおくわけがない。「玄さんもち」などの食べ物類をはじめ、携帯ストラップやCDなど、さまざまなグッズが誕生。市が9月末までの玄さん関係の効果をまとめたところ、グッズ類の申請数は約170件にのぼった。同公園の入場者数も玄さんデビュー前から大幅に増えた。


■話すゆるキャラ

 地元イベントには必ずといっていいほど登場する玄さんをマスコミ各社も見逃さない。「話すゆるキャラ」でもある玄さんは、インタビューの格好のターゲットだからだ。

 

 1月の仕事始めには、願いをかなえてくれると伝えられる鼻かけ地蔵(豊岡市城崎町)に初詣。玄さんはマイクを向けられると、「山陰海岸ジオパークが世界ジオパークに認定されることを祈ったよ」と年始めにふさわしいコメント。その様子は関西ローカルのニュース番組で取り上げられた。

 

 玄さんの活躍もあって10月に世界ジオパークに認定されると、玄さんは、えんび服姿で玄武洞前に登場。関係者と一緒に万歳し、「今日はどぶろくで乾杯じゃ」と大願成就を喜んだ。

 

 デビュー1周年を祝って地元小学校では“誕生会”が催された。用意されたケーキにナイフを入れるよう促された玄さんは「わしが切るんか?」と照れ屋の一面ものぞかせた。

 

 新庁舎建設に伴って役割を終えた市議会議場の閉場式典に招かれると、「58年間、ご苦労じゃった。わしより若いのにもったいない」と気の利いたスピーチを披露。とにかく市内外のイベントなどに引っ張りだこ、出ずっぱりなのだ。


■玄さんの正体

 高齢の玄さんだけに、さぞかし疲れもたまっていると思うのだが、そんな様子はまるでない。スーパーマンのような玄さんの正体は?

 

 「玄さんは玄さん。中に人は入っていません」というのが市側の公式回答。だが、実際は市観光課の職員らが交代で玄さんを担当している。だから、いつも元気でパワフルなのだ。

 

 これまでには女性職員が玄さんを演じたこともあったという。その日の担当によって、微妙に「おしゃべり玄さん」や「無口な玄さん」になるのも、玄さんの魅力なのかもしれない。

 

 


■食傷気味?

  玄さんは、関西のトップを切って11月にオープンした神鍋高原(豊岡市日高町)の人工雪スキー場で行われたセレモニーにも登場した。「スノボは初めてなんじゃ」とか言いながら意外にも軽やかな滑りを見せ、スノーボーダーから喝采を浴びていた。

 

 こうして姿を見ない週はないぐらいに活躍する玄さんに、地元マスコミは少し食傷気味。取材現場では「また現れた」と苦笑いする記者もいる。先の初滑りを報じたテレビ番組でも、アナウンサーから「玄さん、出すぎ」とコメントされるなど人気者ゆえの難しい状況に直面している。

 

 個人的にも、少し露出を控えめにした方が長い人気を保てるような…と心配をしてしまう。だが、頑固で人情に厚い玄さんだけに、今後も来る仕事は拒まず、招かれればいつでもどこにでも現れそうな気がする。
 

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ついに韓流デビュー! たま駅長の超多忙2010年を振り返る

2011/01/04 12:05

 

  

 わたし、たま。メスの三毛猫、11歳。和歌山市内の田園地帯を走る「和歌山電鉄貴志川線」っていうローカル鉄道があるんだけど、その終着駅、貴志駅の駅長にゃの。就任以来、わたし見たさにお客さんが殺到。今年は駅舎がリニューアルされて、ほんと大変だったんだから。そんなわたしの2010年を日記で振り返ってみようかにゃ。(取材・構成 和歌山支局 市岡豊大)

 

     

 

 

 

  1月3日 わたしの仕事は赤字路線を脱出するための「客招き」。にゃんでも駅長になってから貴志川線の年間利用者数が30万人増えたとか。仕事ぶりが評価されたのかにゃ、にゃんと和歌山電鉄の執行役員に昇任したのよ。うそだと思ったあなた、和歌山電鉄の公式サイトを見たら驚くわよ。本当に「執行役員たま」って書いてあるんだから。

 

 駅長就任4年目の日に小嶋光信社長から辞令を受け取ったの。2本線の金帯が入った駅長帽ももらったのよ。課長級のスーパー駅長から執行役員にスピード出世。あ、でも報酬としてキャットフードを増やすって聞いたんだけど、体重が気になっちゃって辞退したの。その代わり、わたしモデルの駅舎(総工費1億円!)が役員報酬だって。びっくりしちゃった。

 

 2月18日 駅舎建て替え工事の地鎮祭があったの。新駅舎の屋根は日本の伝統工法「檜皮(ひわだ)ぶき」。猫の目の形をした窓と猫耳みたいな飾りがあって、駅全体が猫の顔に見えるんだって。人間ってすごいこと考えるわよね。

 

 ちなみにデザインしたのは「たま電車」とか和歌山電鉄の名物車両を手がけてくれてるドーンデザイン研究所の水戸岡鋭治さん。JR九州の新幹線「つばめ」のデザイナーとしても有名にゃんだから。

 

 そういうわけで工事が始まったのだけど、あれにゃんにゃのかしら? ドドドとか、バリバリとか、すごい音がするの。あたしどうも苦手で長期休暇を頂いちゃいました。会いに来てくれたお客さんには本当に申し訳ないわ。ごめんにゃさい。

 

 2月19日 バンクーバー五輪高橋大輔選手が銅メダルを獲得。ねえねえ知ってる?、活躍の陰にわたしの存在があったこと。

 

 小嶋社長が岡山県のスケート連盟会長も務めていた縁で、社長が大会前、特注で作ったわたしのお守りを高橋選手に渡したんだって。「猫は着地に失敗しないから」だって。

 

 もちろん高橋選手の力なのは当然だけど、にゃんでもオリンピックって実力だけでは勝てないなんていうジンクスがあるらしいじゃない。「招き猫」としてのわたしのパワーが最後の後押しになったのかしら。

 

 4月7日 わたしをデザインした観光バスが完成したの。49人乗りの大型観光バスの外装には50匹のわたしのイラスト。内装も赤、茶、白のあたしの毛色や模様をイメージした座席が並んでて、にゃんともかわいいの。

 

 和歌山電鉄に出資する両備グループが路面電車を走らせてる岡山市で、わたしに会いたいっていうお客さんが多いから、バスツアー用に作ったんだって。うれしいにゃあ。

 

 旅行代理店がツアーを企画してくれて、ゴールデンウイークにゃんかもすごい人になるわ。もちろん、バスで来てくれたお客さんには、途中から電車に乗ってもらうようにしてるのよ。「たま電車」の乗り心地にはかなわないんだから。

 

 5月7日 駅近くの神社で新駅舎の上棟式。新しい駅は県産の高野槙(こうやまき)を使った柱と梁(はり)で立派な骨組みができあがっていたわ。完成が楽しみ。

 

 それでね、もちまきしようとしたら、大雨が降ってきたの。急遽(きゅうきょ)もち配りに変更したけど、お天気の神様も意地悪よね。

 

 8月4日 ついに駅舎完成。名付けて「たまミュージアム貴志駅」。たくさんのお客さんが集まってくれて感激!

 

 待合室には地元産のモモやスイカを使ったジュースやジェラートが味わえる「たまカフェ」も同時にオープン。新しい駅長室はキャットウォーク付きの3層構造で、広くって温かくって、もう最高。うれしくて床でごろごろしちゃったわ。

 

 でもこの駅長室、あまりに居心地が良すぎるのが難点。奥の方で思わずうとうとと睡魔が…。眠ってしまったらごめんにゃさい。

 

 8月7日 わたしの女優デビュー作、フランスのドキュメンタリー映画「ネコを探して」が大阪で公開されたの。これから、札幌から沖縄まで全国16カ所で公開されて、見てもらうのよ。

 

 ほかにも病院で亡くなる患者に寄り添う「おくりねこ」とか、首にぶらさげたカメラで風景を撮影する「カメラねこ」とか、世界中の働く猫が登場するの。みんなそれぞれの事情があっておもしろいわよ。猫の世界も複雑よね~。

 

 8月8日 着ぐるみのたま駅長代行が勤務スタート。わたし実は、日曜日はお休みをもらってるんだけど、会いに来てくれたお客さんのために駅長代行が登場することになったの。ちょっと大きいけれど、わたしに負けずチャーミングだから、よろしくね。

 

 10月24日 今日はにゃんともすばらしい日。貴志駅で「人前」ならぬ「にゃん前」結婚式があったの。黒い烏帽子(えぼし)に桃色の着物を着せてもらって神主姿を披露したのよ。

 

 ずっとわたしの取材を続けてくれた女性の新聞記者さんの晴れの舞台。誓いの言葉を聞いて、うるっときたけど、わたしの「にゃあ」の一言で結婚が承認されるんだから、頑張っちゃった。

 

 12月15日 わたし、今度は韓流デビュー。韓国の「大韓航空」が日本観光をアピールするテレビCMにわたしを起用してくれて、その撮影があったの。カムサムニダだにゃん。

 

 スタッフの皆さんはこだわりが強くて、何度もリテイクしたのよ。2011年の1~3月に韓国内で放映するんだって。うまく撮れたかしら。

 

 どう?、わたしの2010年。駅長になってからもうすぐ丸4年だけど、ますます会いに来る楽しみが増えたでしょ。来年の目標は何かって?。うーん、ダイエットと、お客さんにもっと来てもらうこと!

 

 和歌山電鉄貴志川線 南海電鉄が運営から撤退したのち、地元の存続運動を受けて和歌山電鉄が平成18年に引き継いだ。翌年1月、たまが駅長に就任すると、国内外から観光客が訪れ、関連グッズが次々販売されるなど「招き猫」ぶりを発揮。ブームは今も続く。

 

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気分はK-1? 新日? ロボット相撲“聖地”で熱戦

2010/12/28 13:57

 

【マニアック街道】

 12月19日、両国の国技館(東京都墨田区横網)で行われた「全日本ロボット相撲全国大会」に行ってみた。

 

 あちこちでロボット相撲大会があるが、これは1989年から行われており、今年で22回目。歴史ある大会だ。だれでも参加でき、全国各地で予選が行われている。今年の参加は国内だけで1180台と、国内最大クラスの大会だそうだ。

 

  客席に入ると、普段の土俵は消え、砂かぶりもなくなり、代わりに3つの土俵とステージ、さらに大型ビジョンまで並んでいる。大相撲では、ビジョン設置の是非が話題になっているが、先取りしているわけね。

 

 ルールは直径154センチの鉄製の円形土俵から相手を出したら勝ち、という単純なもの。3分3本勝負で決める。

 

 カテゴリーはラジコン操縦で動かすラジコン型と自動的にプログラムで動かす自立型の2つ。ロボットは幅、奥行き20センチ、重量は3キロ以内と決められている。高さは無制限だが、バランスを考えると自ずと決まってくるというもの。

 

 それぞれカテゴリーが3ブロックに分かれてトーナメントで戦い、ブロックの勝者3台がリーグ戦を行い優勝を決める。

 

 土俵が鉄製なので、磁石や吸盤で土俵に密着させるのがポイントらしい。ただ、密着させて動かないと反則負けになるため、動かしながら密着させるのが難しい。

 

 自立型は行司の「はっけよい」から5秒後に動き出す。アームやのぼり旗がついたロボットが多い。センサーを誤作動させるのが狙いだ。解説の先生は「プログラムを攻撃型にするか、守備型にするかが選択の分かれ目。攻撃型はうまく攻め込めればいいが、相手にかわされたり、受けられると不利になる」。なるほどねえ。

 

 一方、ラジコン型は「はっけよい」と同時に動き出す。スピード勝負で、反射神経のいい高校生が操縦する方が有利なようだ。

 

 ちなみに行司は資格制度があり、主催者の富士ソフトの社員や工業高校の先生が資格を取って参加しているそうだ。どうりでてきぱきしているし、説明の声も分かりやすい。

 

 対戦中は各土俵の実況中継が館内に流れ、それとは別にアナウンスもある。ビジョンでは選手紹介のバックに炎が燃え、テンションがあがるBGMも。気分はK-1か新日本プロレスか、という感じなのだ。

 

 ただ、工業高校の、丸い体型で眼鏡をかけた男子が多くて…ちょっと雰囲気が違うぞ。

 

 勝つと「シャー」とか気合が入るのだが、見ていたある女性は「理系男子はもっとクールでいてほしいな」とぽつり。

 

 3つの土俵が同時進行するうえ、一つ一つのロボットが小さいので、正直言って見にくい。ついビジョンに目が行ってしまう。

 

 出場選手表に目をやると、全国9ブロック(プラス海外)から出場しているのだが、東北から神奈川県のチームが出場していたり、関東から三重県の高校が出場していたり。一般はどこのブロックからでも参加可能、高校生は地元ブロックのみの参加だが、他ブロックに一般として参加するのはOKだそうだ。高校球児の留学制度みたいなものか。

 

 と、後ろから聞き慣れない言葉が。振り返るとメキシコの選手たちがいた。メキシコでも国内予選があるそうだ。ほかにも、ラトビアリトアニアの選手も出ている。残念ながらみんな予選で負けてしまったけれど。

 

 ロビーへ出てみる。富士ソフトのホームページからプリントアウトしたチラシを見せると、弁当というか軽食がタダでもらえるのだ。ちなみに優勝者には賞金100万円。全国大会に参加するだけで3万円の奨励金。なんて太っ腹な!

 

 決勝リーグが始まった。ラジコン型は香川県立三豊工高の2チームと大阪電気通信大学のチームが進出した。三豊工高の「八代将軍」(同高1年生、八代貴裕さんの名前から取ったのだろう)は素早いダッシュがウリらしい。他の2チームを蹴散らして優勝を決めた。八代さんは「初めて参加した大会で勝ててうれしい」と喜びの声。

 

 一方、自立型は3チームとも1勝1敗で再戦になった。最後は62歳と57歳の男性の決戦になった。

 

 2台が押し合い、土俵上で動かなくなった。と思ったら、突然1台から煙が上がった。モーターが過熱したらしい。すぐに水入りとなった。

 

 土俵の脇に消火器があったのはそういうことか。昨年はロボットが燃え上がったこともあったそうだ。

 

 選手や行司がゴーグルをかけているのも、ロボットの破片が飛び散った場合を考えてのこと。結構危険な競技なのね。

 

 最後は62歳の男性、「チーム両国」の「六次元K」を操る元大学教員、木島泰道さん=兵庫県西宮市=が、飛び込んできた相手をかわして優勝。教え子たちから胴上げされていた。木島さんは「勝てて普通にうれしい」と、ベテランらしいクールなコメントでした。(慶田久幸)

 

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風を贈る 団扇に込められた人から人への思い

2010/12/20 09:03

 

【マニアック街道】

 

 団扇(うちわ)、舞扇(まいおうぎ)、舞踊小道具を扱う京都の「小丸屋住井」を、SANKEI EXPRESSの「かんさいMONO語り」(12月15日付)で紹介した。小丸屋といえば、京の花街で芸舞妓(まいこ)さんが名刺代わりに持ってまわる名入りの団扇のほか、「都をどり」など京の舞台を彩る舞踊小道具づくりを一手に引き受けている老舗。芸事には縁もゆかりもないので少し緊張しながらお店を訪ねてみると、女将さんや職人さんがあたたかく迎えてくれた。

 

 京都では料理屋さんなどの玄関に芸舞妓さんの名前が入った朱い縁取りの団扇が並んで壁にかけられているのををみかけるが、どこでつくっているかということは考えたこともなかった。今回、ひょんなことから京都検定1級の資格を持つ先輩から取材を薦められ、小丸屋がそこであることを初めて知った。

 

 これも私事だが、小丸屋に取材すると妻に告げると、「いいなあ、ずるい。私も行きたい。小丸屋さんの団扇がほしい」と騒ぎ出し、本当に私の取材数日後に大阪から京都まで行ってしまった。女性にはあこがれのお店らしい。

 

 そんな内輪話はさておいて、平安神宮近くのお店を訪ねると、気さくで笑顔のすてきな女将の住井啓子さんが、店の歴史やものづくりや商売に対する考えなどを教えてくれた。

 

 創業は1624(寛永元)年。伏見深草の竹で団扇をつくるよう先祖が勅命を受け、歌人としても知られた元政上人のアドバイスで、1660年ごろ、棗(なつめ)型をした同店オリジナル「元政型深草団扇」が完成したという。

 

 小丸屋は代々の当主が芸事をたしなんだため、各界に顔が広かったらしい。女将さんの話には「おばあちゃんが五代目菊五郎さんから…」など江戸から明治、大正、昭和にかけての逸話や著名人らが次々と登場する。歴史あっての今ということが伝わってくる。

 

 店頭には踊りのお師匠さんらしき人たちがひっきりなしに訪れ、演目に合わせた小道具について相談していた。企業の経営者らしき人も来ていて、得意先に配った団扇が好評だったなどと話していた。なるほど、そういう需要もあるのか。

 

 小丸屋住井2階の工房は壁に工具がかかり、棚には小道具の在庫や材料が箱に入ってきれいに並んでいた。

 

 仕事の時間を割いて職人の木野高利さん(45)が、団扇づくりをダイジェストで見せてくれた。木野さんは同店で20年以上の道具づくりのキャリアを持つほか、各地で催される舞台の進行などを裏で仕切る狂言、つけうちといった仕事も行っている。

 

 竹の骨と地紙に、薄くといた糊(のり)を塗り、互いを合わせ、なぜてなじませる。紙は隙間を持たせた袋ばりになっていて「乾いたときに反らないよう一番気を使うところ」だという。

 

 1日ほど乾かしてから、余分な地紙をヤスリで削り落とし、半月型のタガネで団扇の形に骨を打ち抜く。それまでの静かな工程とはうって変わって「ギリッ、ギリッ」「トントン、トン」と勇壮な音が響く。

 

 団扇の縁に朱色のヘリ紙をはり、店名の入った柄巻(えまき)をつけると、一気に雰囲気が引き締まる。竹へらで骨の間にてスジを入れ最後の仕上げ。数ができあがると柄をずらして重ねる「六法積み」と呼ばれる昔ながらの方法で、花街に納品されるという。

 

 すべての工程が昔のまま。書や手書きの絵をはる場合、にじまないよう食品包装フィルムをあてるなど工夫もしているとのことだが、むしろさらに手がかかっているような…。薄いヘリ紙をはる工程などは、手先が不器用な筆者は見ているだけで気が遠くなりそうだった。

 

 とにかく完成品からは想像しにくい手の込んだ工程である。「現代は何でも代用品が主流を占めていますけど、本物を提供していきたいです」という女将さんの話が少しは理解できた気がする。

 

 団扇は、部屋のインテリアにしてもいいし、実用にして紙が破損したり汚れたりしたら、張り替えてもらえるという。女将さんは「骨は大事にしてください。団扇の骨を作れる職人さんはもう少ないんですよ」。

 

 話の次元は違うが、次々と新機能が加えられ、あっという間に旧型になってしまう携帯電話などとは対極にあるものづくりのような気がする。

 

 筆者の妻は「お世話になった方へのお中元に」「自分用に」とアサガオや金魚の団扇などを購入していた。物のあふれた時代に、心をこめて「風」をプレゼントするというのはいいと思う。来年は、団扇を持って地元の夏祭りに行ってみようかという気にもなってくる。(も)
 

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